今回は久しぶりに製作したプラモデル、マクラーレンホンダMP4/6です。ちょうど30年前、1991年のF1シーズンを戦ったマシンです。
そして現時点ではホンダがF1でチャンピオンを獲った最後のマシン。6年連続のコンストラクターズチャンピオンと91年はアイルトン・セナのドライバーズチャンピオンが日本GPで決まりました。キットは日本GPバージョンとの事。
カーNo.2 ゲルハルト・ベルガー車
普通はカーNo.1のセナ車にする人が大多数と思いますがベルガーファンでしたので…。
1/20のマクラーレンホンダのキットはタミヤからしか出ておらず、MP4/4(1988)、MP4/5B(1990)、MP4/7A(1992)がリリースされていました。MP4/6は1/12のキットが出ていて、高3の時作りましたが、フジミから2009年に1/20で突然リリースされ、すぐに入手していましたが…。
それから12年、ようやく製作に取り掛かりました(笑)。6月くらいから少しずつ作りました。
キットにはマルボロステッカーは入っていないので別で調達しました。
今年のホンダF1のタイトルゲットを祈願してラストチャンピオンマシンを組み立てました。
91年はホンダ初のV12エンジン、RA121Eを搭載。マルチシリンダーでさらなる高出力を目指しました。しかし、時代はエンジンパワーだけでなく、よりエアロダイナミクスが重要になってきた頃で、ライバルのウィリアムズルノーがエイドリアン・ニューウェイのデザインした空力マシン、FW14を駆りシーズン序盤から脅威を見せて来ていました。
ウィリアムズのマシンの信頼性不足やレーシングアクシデントに助けられ、マクラーレンホンダはなんとかタイトルを取る事が出来ましたが、翌92年は信頼性を上げ、アクティブサスを搭載したウィリアムズFW14Bに完敗となりました。
フェラーリ、ウィリアムズが採用していたセミオートマはこの時点では採用されず、マニュアルでした。
当時、ニューウェイ設計のウィリアムズにタイトルを取られてしまいましたが、30年後の今、ホンダはニューウェイ設計のレッドブルホンダRB16Bでタイトルに挑戦しているのが面白いですね。
ちなみに1991年鈴鹿の日本GP予選ではベルガーがポールポジション。1分34秒700はその後しばらく破られなかった当時のコースレコードでした。
レースはポールからベルガーが逃げ、セナが続き、マンセルより上位でセナがフィニッシュすればセナのタイトル決定の状況でマンセルが1〜2コーナーで自滅コースアウトし、決着。
その後ベルガーのマシンのエキゾーストパイプにクラックが入りペースダウン、セナが抜いてトップに立ちますがファイナルラップの最終コーナーでベルガーに優勝を譲りました。
結構このシーンは美談として語られていますが、ベルガーファンの自分は全然嬉しくなかったですね〜。セナの野郎、余計な事したなって(笑)。
実車。
キットを作った感想はフジミさんのキットは難しい!カウルの合わせやサスペンションのサイズはそのまま組むとしっくりしないんですね〜。
作る腕がないので拡大写真はやめときます😅
フロントタイヤもサイズ違いなのでタミヤから移植しました。
ただ、やはりMP4/6はカッコいいです。苦労した甲斐がありました。あとは今年レッドブルホンダがチャンピオンを獲得出来たら、もう言う事はないです!
長くなってしまいました(^ ^)
それでは〜✌️